生活福祉研究通巻84号 巻頭言

社会保障制度はいつ何のために始まったか

田中 滋
当研究所特別顧問
慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授

始まりはビスマルク

「日本の医療保険は資本主義経済の中に残った最後の社会主義分野だ」などと説く人が見られるし、米共和党保守派は「社会保障制度は社会主義への道」として反対を唱える。しかしこれらはいずれも間違った理解である。

社会保障制度は逆に資本主義の健全な発達を支えてきた。こうした視点に立った社会保障政策の開始は19世紀後半の独帝国宰相ビスマルクに求められる。18世紀以降、プロイセン王国は著しく国力を増強させていた。近代的経済の発展も目覚ましく、1850年からの20年で、同国を盟主とする北ドイツ連邦では、鉄道総延長が3倍、鉄鋼生産が5倍に増え、レールや機関車を英国からの輸入に頼らず自前で生産できるようになった。

1862年には駐仏大使だったビスマルクがプロイセン首相に任命された。プロイセン王国は1866年に普墺戦争、1871年に普仏戦争に勝つ。国王ウィルヘルム1世はヴェルサイユ宮殿で皇帝として戴冠し、ドイツ帝国という名前の連邦国家が作られた。ちなみに岩倉使節団(木戸・大久保・伊藤などが副使)はその直後1873年にドイツを訪れ、ビスマルクと会見している。

独帝国形成を主導したプロイセン首相ビスマルクは帝国宰相に就任する。彼は戦争に勝つ戦略だけではなく、どのようにしたら国力が英仏墺露という欧州四大強国に列していけるかの政策も構築した。そのためにとられた政策が富国強兵策(これ自体は中国・日本で使われてきた言葉だが)に他ならない。19世紀後半、富国の手段としては以前の重商主義などとは違い、資本主義形態による重工業の発展が中心となる時代に入っていた。

賃労働者の発生と熟練工化

資本主義には様々な特徴があげられるが、最も目立つ側面の一つは、労働の商品化であろう。かつての農奴や小作農は土地に縛りつけられており、地主や領主に身分的に隷属していた。都市の職人や商人も、親方や商店主の下で徒弟奉公から始めなくてはならなかった。ところが、資本主義経済下の工場労働者は身分的に隷属しているわけではなく、労働というサービスだけが市場で売り買いされるように変わった…もちろん労働を保護する法律体系など整備されていないので、資本家に搾取はされていたにしても。こうした労働商品化の趨勢が、地縁・血縁・同業者連帯などと切り離された形で起き、拡大していった。

ホワイトカラー職種はこの時代まだほとんどなかったため、地縁・血縁から切り離された農民の次三男等は工員になるか、兵隊になるかが主な選択肢だった。やがてその工員の一部が熟練工に進化する。このような新しい型の賃労働者が労働災害に遭った時、病気にかかった時、障害をおったり老齢になったりした際に放置すると、当時の過激な共産主義運動に走ってしまうかもしれない…ビスマルクはそれを防止すべきだと考えたはずである。熟練工の技能と高い生産性が失われる損失を避ける意味もあったろう。

1848年に仏墺伊普など欧州各地で起きた革命や暴動は支配層に大きな衝撃を与えた。それ以前、例えば1789年仏革命はブルジョア革命、1640年代英国ピューリタン革命は郷紳(ジェントリ)による革命だった。これに対し1848年、初めて労働者も市民勢力の一環として革命推進勢力になりうること、その背景には社会主義も影響していたことを、ビスマルクは観察したと思われる。また1877年の独議会選挙では社会主義労働者党の得票は前回の3倍に増え、結党後たった2年で党員は10倍になっていた。

「ドイツ帝国は他の列強に負けぬよう強くなくてはならない。強くなるためには産業化、取り分け重工業化が必要である」「重工業のためには熟練工が欠かせない」「増大し続ける工員が社会主義に走らないようにするためには仕掛けが必要だ」といったロジックが頭の中で働いたと想像できる。一方で1878年には社会主義者鎮圧法を制定して労働者党を非合法化しつつ、世界最初の疾病保険(1883)、労災保険(1884)、障害・老齢保険(1888)など労働者保護手段の整備が行われていく。

社会保障制度の本質機能

以上からわかるように社会保障制度ができた理由は弱者への慈悲心ではない。ビスマルクは弱者への慈悲心などほとんど持っていなかったと思われる。ましてや社会主義を普及させるためでもなく、むしろ社会主義…現代の穏健な社民主義ではなく、当時の過激な共産主義…を防ぎ、ドイツ資本主義を発達させ、他の強国に伍するためだった。

確かに、社会保障制度機能の直接の対象は、怪我人・病人・引退者等である。しかし、制度の真の受益者は、社会不安によって被りうる損失を防ぎ、社会安定によって得をする、自分たちの目標追求に専念できる政府と豊かな層なのである。

社会保障の本質的な機能とは、生活に困った労働者層が極左・極右の暴力や狂信的宗教などに傾かないことを前提に、政府は戦争や外交を含む国家運営、資本家層は会社経営に専念できる点に尽きる。ただし、豊かな層といっても、外国に資産を持っているなど生活水準を落とさずに亡命できる人たちは別とすれば、中の上の層が社会安寧の恩恵を受けると考える方が正しい。なお社会保障制度による社会安寧目的はそれなりに効果を発揮し、ワイマール共和国体制末期、最後までナチ党になびかなかった集団の一つは中核的工場労働者層だったと記録されている。