生活福祉研究通巻70号 巻頭言

自動車産業の未来への一考察

鈴木 正慶
当研究所所長
中部大学経営情報学部教授

昨年の9月に生じたリーマンショックを機に、世界の様相は大きく変わったといえよう。わが国経済への影響も甚大であり中部圏においても、2008年の前半までと後半以降では状況が180度変わってしまった。2007年度2兆円を上回っていたトヨタ自動車の連結営業利益は、2008年度では途中何度か下方修正され、最終的に4,600億円の赤字決算となった。そして、今年度も8,500億円の赤字が見込まれるとの発表がされている。驚くべき大きな落ち込みであり、百年に一度といわれるショックの大きさを身近に感じさせられる。これまで、わが国の経済を強力に牽引してきた自動車産業やその周辺産業にとっては、最近のハイブリッド車の好調な売れ行きなど明るい兆しも見られるが、世界の自動車市場・産業の変動などを考えると、先行きは不透明といえよう。

米国では、世界的な競争や環境の変化への対応で長い間苦闘していたクライスラーやGMが今回の危機をきっかけに、いよいよ経営的に立ち行かなくなり、今年1月に就任したオバマ大統領の主導のもとにクライスラーが4月、GMが6月に連邦破産法11条の適用を申請し、法的整理を活用した経営再建の道を選ばざるを得なくなった。とくに、20世紀前半より世界の自動車産業のトップランナーとして、国家の繁栄に貢献し文明的にも世界に大きな影響を与え続けて来たといえるGMは、その負債総額は16兆円に達していたといわれている。そして、米国政府が60%、カナダ政府が12%、労働組合(UAW)が17.5%の株主となる、これまでの米国流資本主義的見方からすればかなり異例ともいえるかたちで再生へ着手しはじめた。

1908年、世界最初の量産車、T型フォードを生み出したのは、ヘンリー・フォードが少年時代にニコルス・シェパード社製の蒸気自動車(無軌道車)に出合ったのが大きなきっかけとなった。T型フォードが生産、販売される前までは、米国には3,000社におよぶ自動車関連会社があり、そのうち約500社が実際に車を売り出していたといわれている。フォードはそのなかで、車の製作に組立ラインを導入し、工場労働者に一日5ドルの賃金支払いを実現する、いわば革新的経営を断行し勝ち残り、一般の人々が車を持てる時代へと導いたのである。モータリゼーションの幕開けといえよう。「あなたでも、フォードを買えますよ。いつも万全でお待ちしています。故障はしません。直すのも簡単です。少ない部品で、それも必要なものだけで作られています」というのが、当時の広告での謳い文句であった。

このT型フォードが世に出た同じ年に設立されていたGMは1920年頃には瀕死の状態にあった。そして1923年に、後に米国の経営理論の祖とも呼ばれるアルフレッド・スローンがCEOとなり、GMの再建を果すことになる。T型モデルで代表される単品量産型のフォードが多様化、高次化する人々のニーズに対応出来なくなるなか、GMのスローンは車種を多様化し、多くの車種を経営的に管理できる事業部制の考え方を確立し、その後ずっと続く揺るぎのないトップ企業の座を確保した。

そして、飽くことのない人々の車に対する欲望に応えるなかで、これまでに自動車は3万を超える部品を擦り合わせ、組み立てて作る製品となり、世界的に拡がる巨大産業となったのである。しかし、地球環境問題への認識の拡がり、新興国市場の拡大等、人々のニーズも変わり、それに対応する自動車産業は世界的にいま大きな転機を迎えているともいえよう。

このような状況のなか世界の自動車市場や自動車産業が今後どのようになっていくかを洞察するため、中部大学の一研究グループは、「地球環境問題と自動車産業の将来変化について」というテーマで、有識者および経営者1,500人への郵送アンケート調査をこの2月に実施し、550人から熱心な回答を得た。回答者の立場によって2つの方向が示されているが、以下では、その結果などを踏まえて将来を考察してみたい。

10~15年後の新車市場を考察すると、ハイブリッド車よりもさらにクリーンな電気自動車や燃料電池自動車が優位に立っていると考えられ、電池や電池充電インフラのより一層の開発・整備が重要視されている。そのためにリチウム、水素、太陽光などをベースとしたクリーンエネルギー技術の革新と早期実用化が強く求められている。とくに、今後の化石燃料の枯渇や地球環境問題に不安を感じている有識者の多くは、クリーンな電気自動車や燃料電池自動車普及への期待は大きく、それによって世界の自動車市場も順調に拡大すると考えている。そして、その背景でグリーンニューディールを提唱しているオバマ大統領の政治・経済的世界観(パラダイム)を強く支持している。また、既存の擦り合わせ型完成車メーカー、とりわけ日本のメーカーの業容革新・自己変革に大きく期待するものの、電機メーカー、部品メーカーや販売会社などがエコカーの完成車提供者として新たに登場し、さらには新興国等のベンチャー企業による低価格電気自動車の生産が拡大し、わが国の自動車の世界シェアは縮小していく方向にあるとの認識が示されている。そして、この流れは部品の点数の減少やモジュール化を促進し、これまでの擦り合わせ型産業構造に変化をもたらし、わが国の自動車産業、とりわけ中部圏に大きな影響を与えることを予想している。

一方、中部圏の製造業の経営者を中心として、10~15年後もこれまでの強みとされる擦り合わせ型産業基盤が進化しながらも依然維持され、電気自動車や燃料電池自動車の普及には時間を要するとの認識が強く持たれている。CO2問題への認識はやや楽観的であり、一方リチウム資源等の安定確保への懸念や新興国の自動車需要の内容等を勘案すれば、ガソリンエンジンの低燃費化技術の革新がまだまだ必要で、10~15年後まではクリーンデイーゼル車やハイブリッド車を含めたガソリン車の普及が現実的であり、わが国の既存メーカーが世界市場での中心的役割を担っているとの見方が示されている。

現実は、以上の2つの道を同時に進むのであろうが、10~15年後のわが国では、どちらの流れが強くなっているのだろうか? どちらの流れが強まるにしても、今後ともわが国の発展にとって自動車産業の果たす役割は大きく、欠かせないものであろう。