生活福祉研究通巻68号 巻頭言

バリ島の暦:不思議な時間概念

鈴木 正慶
当研究所所長
中部大学経営情報学部教授

バリ島は成田からおよそ6時間のフライトで入れる、インドネシア共和国に属する面積5,600㎢の日本の愛媛県規模の自然の美しい島である。インドネシアの首都ジャカルタがあるジャワ島の東隣りに位置し、古くからリゾート地でもある南部の海岸沿いを中心として開発が進み、いまや世界的な観光地として注目されている。2002年と2005年の2度にわたってイスラム過激派によるものとみられる爆弾テロ事件が南部の観光地繁華街で起こっているが、外国からの観光客は、事件直後の落ち込みはみられたもののその数は徐々にもどり、2007年で167万人と過去最高となっている。なかでも、日本からの観光客は、遠方からにもかかわらず全体の2割を超える35万人に達し、シンガポールからの41万人についで第2位の多さである。これは、島民の対日感情も比較的良く、1960年代にリゾートホテルの開発の先鞭をつけたのが日本からの戦争賠償金によるものであり、その後のスハルト政権時代に積極的に進められた観光開発に日本の開発業者が多くかかわり支援、協力したことも関係しているのであろう。

世界的な金融危機の激震が走る中、この島にほんの数日滞在し、街や観光スポットを訪ねたのであるが、ここに住む現地の人々の非常に温和で、心静かな人柄には大変癒されるのである。イスラム教が中心であるインドネシア共和国で、バリ島だけはヒンズー教が土着の信仰などと融合したバリ・ヒンズーといわれる神々が遍在する世界を創っている。人々はすれちがう観光客にでさえ立ち止まり手を合わせ軽く会釈をする。そして、いたるところに祀られている神々の像に供え物をし、深く祈る。島の女性たちはチャナンと呼ばれる供え物をこしらえたり、祭の準備や後かたづけでいつも忙しい。

この島では、我々が住む現代の経済社会を流れる時間とは異なった時間が流れ、佇んでいる。近年の急速な観光開発により、本土ジャワ島からも多くのイスラム就労者が移り住み、ヒンズー対イスラムの宗教的対立を懸念する声も聞かれるが、320万人の島民の約9割を占める、争いを好まないバリ・ヒンズーの文化はしっかりとした島の基盤となっているように思える。

国際基準に准じて政治・経済活動を進めているインドネシア共和国の一員としてバリでもグレゴリオ暦(the Gregorian calendar)を公式には用いている。そして、島にある日本や欧米など外国資本のホテルやレストランでの、クレジット決済や為替交換、国際航空便の予約変更、ニュース配信、電信・電話、Web交信等は、何の不便もなく、支障もなく行われているのは不思議でない。しかしながら、ここでは日々の生活を営むために人々は国際的に標準化、普遍化されているグレゴリオ暦とは別に、二つの独自な主観的ともいえる暦(生活のリズム)を備え、用いている。一つは、サカ暦(the Saka calendar)であり、他の一つがペウコン暦(the Pewukon calendar)である。

サカ暦は、ジャワのヒンズー王国を最初に築いたサカによってバリにも伝えられたといわれ、農耕に関する祭や儀式の諸事を定め、月の朔望(満ち欠け)により決まる太陰暦に近いものを基本としている暦である。これは、新月と満月の時が、祭や儀式に最も重要な瞬間とされ、とくに4番月、6番月、10番月は寺院での祭事の重要な月と考えられている。雨期が終わる春分の新月の翌日から新しい年(新年)が始まり、この日を「沈黙の日」と定めている。「沈黙の日」では、島全体の世俗的な活動が終日制限され、これまで溜まっていた世界中のすべての汚れを清め、ひたすら祈るのである。その夜には島にある村々で、魔除けや厄払いの儀式や、悪魔の面や像を飾った大きなパレードが行われるという。

ペウコン暦は、島の祭事の殆どを定め、市(いち)の開催や、年年歳歳の行事の日程を決めている。この暦は、複雑な計算で細部が決まっているのであるが、大きく捉えれば、1サイクル(1年)が210日であり、ウク(wuku)と呼ばれる、一つ一つそれぞれが固有の名前をもつ30の週から成り立っている。そして、この暦にはバリの土着の神話である近親相姦の母と息子を引き離すための掟と時間概念が内包されている。

暦のサイクルの最後の週(ウク)にはその息子の名前(Watugunung)がつけられている。そして、この最後の週の最終日は「知識の女神の日」と呼ばれ、そこで暦のサイクルが終わる。そして、それとははっきりと切り離し、区切りをつけるために、不浄の万物を海に流し、清め去り、そこでまったく新しい暦のサイクルに入り、最初の週(ウク)が始まる。その新しい週には、その母親の名前(Sinta)がつけられている。母親は新しく始まる暦のサイクルを汚れから守る立場に置かれている。「知識の女神」が授けた連続性のない時空概念(母と息子を物理的に違う世界に離すこと)と掟(祭や儀式の意味や慣例を定めること)は、バリの日常の生活に浸透しているのであろう。

また、伝統的に1日が、日の出、真昼、日の入り、真夜中という4つの不連続な転換点で分けられている。そして、この転換点では、不吉な力が働き、宇宙のバランスが崩れ、突発的な狂乱が生じやすい瞬間と信じられている。この時に、不吉な力を弱め、世界のバランスを保つように、代々バリの人々は神に向かって敬虔な祈りを続けてきたのであろう。いまでは、1日の祈りの時は、日の出、真昼、日の入りの3時点になっているようである。

ここで注目されるのは、1年のサイクルにせよ1日のサイクルにせよ、儀式や祈りで時間の流れに不連続な区切りがつけられていることである。ペウコン暦の最後の週(ウク)は、次のサイクルの最初の週(ウク)とは完全に切り離されていて、まったく異なった時空をイメージしなければならない。また、日の出(あるいは真昼、日の入り)の前後は時間的につながっていないのであり、我々が意識し理解する円環や直線のような連続した時間感覚とはかなり違うのであろう。おそらく、我々が親しみ、染め上げられてきた、未来に無限に繋がり拡がっていく連続した量的な時間概念をもってしては理解し難い世界なのであろう。道端で足を止め、不連続な時空を神々への祈りというパスポートで行き来する島の人々を眺めていると、その顔や姿は実に穏やかな充足感に満ちているように思える。

過去を帰無し、未来へ限りなく可能性を拡げ、それに伴うリスクを大胆に分散しながら進む不可逆で連続した我々の時間感覚では到達しにくい精神をバリの人々はもっているのではないか。ダボス会議の今年の統一テーマは「危機後の世界の形成」である。不連続な異なる時空を行き来するバリの精神は、世界秩序を保つ方法について、我々に何か示唆しているように想われてならない。