生活福祉研究通巻51号 巻頭言

人民元は弱すぎるのか

大場 智満
当研究所顧問
国際金融情報センター理事

人民元に対するアメリカの見方

10月1日にワシントンで開かれた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)では、原油価格の高騰の影響が懸念された。同時に、中国の財政大臣、人民銀行総裁を招いて人民元の話をしたようである。人民元問題については、2、3年前からアメリカが採り上げてきているが、この問題はアメリカ側・中国側双方にとって、政治的にセンシティブなテーマである。

この問題に関するアメリカ側の背景をみてみよう。11月の大統領選を控え、為替相場に対するホワイトハウスの考え方ははっきりしている。すなわち、「強いアメリカは強いドルを持つべきである。しかし、ドルの為替相場は、市場の需給によって決められるべきである」というものである。

人民元の切上げを強く主張しているのは、アメリカの中小の製造業者である。その中小製造業者の声を受けて、民主党のシューマー上院議員やレビン上院議員を中心とする超党派の議員連盟が、通商代表部(USTR)に対してプレッシャーをかけている。議員連盟によれば、中国人民元は15~40%過小評価されており、それが維持されているのは、中国当局の介入によるものだというわけである。これに対してUSTRは、これを採り上げない方針である。しかし、スノー財務長官を議長にして開催されたG7は、「主要国および主要地域の通貨は柔軟性を欠いてはならず、そのさらなる柔軟性が国際金融システムにとって望ましい」という表現を過去のG7と同様、今回のG7のステートメントに盛り込んだ。中国の人民元問題がターゲットになっていることは明らかである。

なお、アメリカの大企業は、人民元問題に対して特別なクレームをつけていない。それは、中国がかつて日本が行ったような緊急輸入の対象に航空機などを取り入れたからであろう。

中国の政治・経済情勢

中国側の政治・経済情勢はどうなっているか。

私見であるが、フロート制とかクローリング・ペック制とか、より柔軟な為替相場制度は、次の2つの素地の上に成り立つはずである。1つは、経済危機が起きたり、ましてや破綻するような恐れがある時には、為替相場制度を変えることはできないこと。2つめは、資金の流出・流入について資本規制がある場合には、その通貨の実際の価値がわからないことである。

第1について考えてみよう。中国は1997年のアジア通貨危機の際、タイや韓国をはじめとする多くの国と違って、危機に陥ることはなかった。それは、中国政府が資本取引の自由化、金融資本市場の自由化を慎重に進めてきており、短期の資金の流出入について規制が維持されてきたことによる。また、中南米諸国のように、マクロ経済政策の破綻から経常収支の赤字が拡大し、そのファイナンスが困難になるということはないと思われる。

問題は最近の過剰設備投資である。前号でも触れたように、昨年の鉄鋼の生産量は、日本の1億トンに対して中国は2億3千万トン、消費量は世界の27%である。また、セメントは世界の40%を消費し、原油の消費量も急激に増大している。

先進国的な金融システムを持っていない中国では、預金準備率操作や金利政策で過剰な投資や消費を抑えることは容易ではないと思う。ハード・ランディングの心配をしているエコノミストもいるが、筆者はソフト・ランディングが可能であると思う。(なお、ここでいうソフト・ランディングは7%台~8%台の経済成長率であり、5%台~6%台の成長率をハード・ランディングとしている。)ソフト・ランディングが可能であると考えるのは、最後には北京の党および政府が、力で投資や消費を抑えることができるからである。

中国の経済はソーシャリズム・マーケット・エコノミーといわれることがある。この市場経済は、「共産党主導」の市場経済である。中長期的には市場経済への到達が先延ばしされるが、短期的な危機は避けられるわけである。

人民元は強くなるのか

これらの課題を乗り越えてはじめて、人民元の柔軟なシステムが生れることになる。

現在の投資過剰な経済が安定し、資金流出入に対する規制が撤廃されれば、より柔軟な為替相場制度を導入することが可能になる。それは、ターゲット・ゾーンのように一定の幅を設けて通貨バスケット制をとるもよし、日本のようなフローティング・レートをとってもいいし、クローリング・ペッグ制でも構わない。

中国通貨当局は技術的な検討は十分にしていると思うので、上記のような前提が整った時、政治的判断をすればいいのではないか。

1980年代の日米円ドル委員会やプラザ合意は、円を強くするために金融資本市場の自由化を進め、内需拡大を図るというアメリカの強い要請にもとづく交渉であった。強いアメリカは強いドルを必要とするという考え方に立てば、アメリカは弱いドルを指向しているとは言えない。プラザ合意の時に円やマルクが強くなることを望んでいたのと同じように、人民元が強くなればいいと考えているのであろう。