生活福祉研究通巻45号 巻頭言

「大恐慌後の不況」がなぜ長期化したか

牧野 昇
当研究所所長
三菱総合研究所特別顧問

大恐慌の歴史が語る財政均衡策の失敗

1929年10月24日の「暗黒の木曜日(ブラック・サースデイ)」、米国ウォール街の大暴落に始まる大恐慌は、全世界でおよそ3000万人の失業者を生み出した。

J.K.ガルブレイスにこの大恐慌を鋭く分析した『大恐慌』という名著がある。私はその本の監訳者であったが、文庫版の出版にあたり新しく解説を書くことになり、改めて読み返してみた。そして非常に驚いた。輸出超過で純債権国だったこと、企業腐敗や銀行への非難が起きている点など、現在の日本とあまりにそっくりだからだ。

大恐慌時の株式相場の落ち込みは確かに想像を超えるものだった。しかし、株に限らず相場のある商品は「暴騰すれば必ず暴落する」のが原則だから、それ自体は別に驚くことではない。問題は、その後の不況が恐ろしく長期化したことである。

そして何よりこの本で瞠目すべきは、大恐慌後の長期不況の原因についてのガルブレイスの分析である。彼は、「財政均衡をめざすべし」とした当時のエコノミストや政府アドバイザーの主張を「判断ミスだった」と断じているのだ。1933年2月、ハーバート.C.フーバー大統領が次期大統領に渡した有名な書簡がある。そこには「財政均衡化は絶対に守るべきで、これは問答無用の政策課題である」と書かれていた。ガルブレイスは、この失政こそ大恐慌後の不況を長期化させた最大の元凶だったと指摘している。

フーバー大統領の軌跡を追ってはいけない

バブル崩壊後の長期不況にいまなお喘ぐ日本は、ガルブレイスの指摘するところに耳を傾けなければならないと思う。竹中平蔵経済財政・金融担当相は、あくまで不良債権処理なくして景気の回復はない、との立場をとっている。同時に「財政の建て直しを進める」「補正予算は編成しない」とも言っている。つまり財政均衡論による緊縮政策である。「改革なくして成長なし」というわけだ。

しかし、私は先にデフレを止めないと、景気の回復も不良債権処理も難しいだろうと思っている。「デフレ退治なくして回復も改革もなし」である。それには財政均衡に固執せず、デフレ対策として大型の補正予算を組むべきだ。銀行の不良債権処理に回す政府のお金をデフレ対策に振り向け、まず景気回復を図るべきである。

野村総合研究所主席エコノミストの植草一秀氏は「文藝春秋」(2002年12月号)の誌上対談で、次のような例えを用いて、竹中チームの政策を厳しく批判している。「手術を進めるには、まず患者に栄養と睡眠を取らせて、体力をつける。しかるべき段階で、麻酔をし、輸血、点滴もして慎重に執刀すべきです。しかし、竹中さんがやろうとしていることは、まず患者に断食させて、ふらふらになったところで血を抜き取り、息が絶え絶えになったら、麻酔も輸血もなしに切りつける。これは手術というより殺人と言えます。」

まさに言い得て妙で、竹中チームの政策は手順が逆さまになっているように思う。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という。小泉総理には「フーバー大統領の財政均衡化の軌跡を追ってはいけない」と申しあげたい。

供給サイドの改革だけでは縮小均衡に陥る危険

竹中改革の要諦は、緊縮財政のもとで銀行の不良債権処理を加速した後に、ITなどのニュービジネスにより景気の回復、経済の成長を図ればよい、というものだ。しかし、この政策の一番の問題は、サプライ・サイド(供給側)の改革に重点が置かれ過ぎている点にある。確かに竹中改革を進めれば不良債権は少なくなるだろう。しかしデフレは止まらないし、景気回復もない。銀行の貸し渋りはさらにひどくなり、これまで以上に倒産する会社が続出しよう。不況が深まれば企業の売上げが落ち、それをカバーするために価格競争は一段と激化する。デフレの悪循環は税収を落とし、国や地方財政を一層苦しめる。これでは単に経済を縮小均衡させるだけで、かえって失業者を増やし、雇用不安をあおり、日本経済にこれまで以上のマイナス効果をもたらすだけだろう。

経済政策は予行演習ができない

日本経済の最大の課題は、膨大な需給ギャップにある。それを供給側の改革だけで解消しようとするには無理がある。90年代前半、ストック調整で設備投資が落ち込んで雇用の悪化を招き、これが国民の雇用不安を呼び、消費の低迷をもたらした。さらに90年代後半になると財政抑制と金融ビッグバンの拙速導入により金融不安が生じ、マイナス成長になった。

わが国の不況の要因は需要不足にあり、それに伴う雇用不安が大きい。ならば、政府としてはまず雇用不安の解消に努めるべきである。そのためには、IT、バイオ、ナノテクノロジー(超微細技術)、環境・エネルギーなど、これから大きな市場に成長することが見込める分野へ積極的かつ集中的に予算を投じるべきであろう。

ところが現実の政策は、むしろ日本の経済社会システムの構造的問題を必要以上に強調し、「21世紀に国際競争に生き残るためには痛みを伴う改革が必要である」として、かえって国民の雇用不安をあおっている。外国のメディアやエコノミストには竹中改革に好意的な人もいるが、経済政策は予行演習なしの即本番であり、失敗した時はやり返しがきかない。その痛みについて外国のメディアやエコノミストは責任を負わない。一握りの評論家グループに国家の大計を委ねていいのかということを申しあげたい。